美人鰤「西野浦の海と漁師」 - 大分県佐伯市蒲江・西野浦の養殖漁師が作り育てるブランド「美人鰤」の公式サイト

この浜から世界に通じるようなブランド鰤を育てたい。
何とかせんといけん。風穴を開けに行こう。
Nishinoura Sea & Fishermen

西野浦の海と漁師

西野浦という名の漁師町が、大分県佐伯の蒲江にある。
佐伯といえば兎にも角にも、海の幸が美味しいことで大変有名である。
佐伯の沿岸部はリアス式海岸になっており、その沖に広がる豊後水道は瀬戸内海からの海流と南からの黒潮がぶつかりあう最高の漁場だ。
美人鰤はきっと、この土地でなくては生まれることのなかった、西野浦だからこその逸品なのだ。
ここではそんな西野浦の海について、紐解いていこうと思う。

古くから養殖業が盛んな佐伯市蒲江・西野浦

目の前の入津湾は、まるで湖のように穏やかで、海面には養殖のいけすが整然と並ぶ。ここが美人鰤誕生のキーパーソンである海の兄と弟こと、村浪井マルミ水産代表・浪井満洋さんと、松水産代表・村松教雄さんが幼い頃から見慣れた光景であり、新ブランド「美人鰤」を育んだ場所だ。
瀬戸内海からの海流と南からの黒潮、そしてこの湾の形状があってこそ、この地の養殖業は何世代にも渡ってノウハウを築き上げてきたのだろう。

しかし、大分県で最盛期は100隻以上あったモジャコ漁師も、今では34隻。養殖業者も減少傾向らしく、「美人鰤」の輝かしい誕生物語の裏側では、このような現実が横たわっていることも忘れてはならない。
最高に旨いと思えるものに出会った時、私たちはその背景に「ものづくりに情熱を注ぐ職人」と、「何世代にもわたり職人育んできた場所」があることに、思いを馳せるべきなのかもしれない。食とその背景を丸ごと愛して好きになるということだ。

「美人鰤」を育む西野浦の光景が、そのような気持ちにさせてくれる。

魚を作り育てる技術が、漁業の未来を支えていく

海に囲まれ水産資源が豊富な日本では、もともと魚といえば天然物が最上、というイメージが強く、1990年代までは、養殖技術は欧米諸国に遅れを取っていた。スーパーに並ぶ切り身でも、天然モノは「天然」の大きなシールを貼られて売られるが、養殖魚は小さく書かれているだけ。消費者も、天然モノと養殖モノが並んでいれば、なんとなく天然の方を買いたくなるのではないだろうか。
ところが近年、よく見ると養殖モノの方が高い値段が付いていたりする。スーパーの店員に聞いても「養殖の方が脂がノッていて美味しいし、食べ慣れた味だと思いますよ」と言う。
実は、近年の日本の養殖技術の進化はめざましく、消費者の好みに合う身質の魚を、安定供給する多くは養殖モノだ。食品安全の観点でも、農業や畜産業と同じように、どんな状態で育ったのか分からない魚よりも、管理された良質な環境で育つ方が安全性が高いともいえる。今や、魚も、農産物のように育てる時代なのだ。

いま様々なブランド鰤が、アイディアと技術でしのぎを削って合戦をしている。西野浦が育んだ「美人鰤」もその荒波に乗り出した。近年のめざましい技術の進歩は、消費者が自分たちで好みの味を自由に選んで、好きなように味わう事の出来る時代を引き寄せた。
言わば、バリエーションを楽しむ時代の到来だ。

西野浦が生んだ新ブランド「美人鰤」は、ふたりの養殖漁師、教雄さんと満洋さんの魚を作り育てる技術で誕生した。本当に旨いブリを作りたいという思い、そして、多くの人にこの味を知って欲しいという願い。

天然か養殖か、そんな論争はもはや不毛かもしれない時代。
魚を作り育てる技術が生んだ「美しい」という味、職人が純真な気持ちで生み出した味が、西野浦で漁業の未来を支えていく。

大自然の一部を借りて魚を育む

養殖と聞き、何かしら水槽のようなもので育てる光景を想像する人が、多少なりともいるかもしれない。その想像は「美人鰤」に関してはまったくもって当てはまらないことをお伝えしたい。実際の「美人鰤」は、大自然の一部に抱かれて育てられているからだ。
いけすは入津の海に浮かんでいる。天然のマダイもイシダイも、まるでお隣さんの子どものように、同じ海ですくすくと育っている。

美人鰤を作り上げたキーパーソンである“海の弟”こと村松 教雄さんに、船に乗せてもらい海へ出た。
海へ出れば、西野浦がいかに養殖業の盛んな場所なのか、改めて気付かされる。豊かで穏やかな海のあちこちに、整然といけすが並んでいる。

実際にこの現場を見てようやく気付いたが、教雄さんも、“海の兄”こと満洋さんも、「美人鰤を作る」という表現はあまり用いていなかった。
微妙な違いのように思えるかもしれないが、「美人鰤を作り、育てる」という表現をよく用いているのだ。
この表現は、「東洋美人」の酒粕を与えて育てた、与えたら出来た、という安易なニュアンスではない。
大自然と正面から向き合い、そして、ブリの成長を繊細に感じ取りながら、細やかな計算の上で「作り育てている」というニュアンスだ。

改めて、満洋さんの言葉が思い起こされる。
「俺らには漁に出てモジャコから捕って、魚を育て作るという技術がある。それを守らんといけん」
その技術の奥深さと壮大さには脱帽だ。
この養殖業の姿を見て初めて、文章だけでは伝えきることの出来ない価値が、西野浦と「美人鰤」にはあるような気がした。
The Landscape

美人鰤を育む風景

西野浦湾を出た外海のいけす

この下入津のブリのいけすは、3年に1回づつ場所が変わる。

漁場での餌やり

6時には漁場に着き餌やりを行う。西野浦のなかでも早い方だという。

西野浦の外海の朝焼け

東シナ海での漁が終わりモジャコ船が着くとすぐにいけすに移す。大きさの選別も行いながら移す。

モジャコ船からいけすへ

東シナ海での漁が終わりモジャコ船が着くとすぐにいけすに移す。大きさの選別も行いながら移す。

モジャコのいけす

全長200m以上あり1日10キロ以上歩くことも。モジャコは大きさごとに沖のいけすに移っていく。

一家総出でモジャコを育てる

餌やりは女性陣が行うことが多い。初期はまず餌付けをしながら慣らしていく。

元気に泳ぐ美人鰤

餌をやりに近づくと渦ができ船が寄せられないことがある。1.5〜2年もの月日をかけて美人鰤を作り育てる。

大きく育った美人鰤

5キロ近い鰤を掴みながら大きさを選別していく。“美人”の名にふさわしい姿を保つためにも、無駄のない手際で丁寧にする。

最良の状態で届けるために

神経〆の道具を使った旨味を左右する職人の技術。身を傷付けないように一気に脳天から通す。

海上に浮かぶいけす、遠景

この雄大な海で、美人鰤は元気に、美しく成長していく。