美人鰤「美人鰤とは」 - 大分県佐伯市蒲江・西野浦の養殖漁師が作り育てるブランド「美人鰤」の公式サイト

俺らには、モジャコから捕って鰤を育て作るという技術がある。
魚を育てる職人として、自分たちが食べて美味しい鰤を育てたい。
What is a BIJIN-BURI

美人鰤とは

多種多様な養殖ブリは国内外数あれど、「酒粕で育てた鰤」というのは個性的な存在。
しかも、とある日本酒の酒粕を用いていると言うのだから、さぞかし料理にうってつけの深い味わいを堪能できるのだろう。
ここでは、そんな美人鰤が一体どのような歩みを辿り、生まれてきたのか、はじまりの物語から紐解いてみたいと思う。

海の兄と弟が起こす、西野浦の新しい風

みかんにかぼす、そういったフルーツの名を冠するを鰤を、誰しも一度は見たことがあるのではないだろうか。
脂のノリや旨味を、消費者の好みに合わせ育てることが可能になりつつある昨今、言うならば付加価値を付けた「ブランド鰤」は合戦状態だ。
さまざまな地域で、さまざまな職人がアイディアと技術のしのぎを削る中、ここ佐伯市蒲江西野浦の小さな浜から合戦に挑む、ふたりの養殖漁師がいる。
浪井マルミ水産代表・浪井満洋さん、村松水産代表・村松教雄さん。
漁業には、船で漁に出る「捕る漁業」と、養殖いかだ(いけす)で魚を養殖する「育てる漁業」があるが、満洋さん・教雄さんたちは、毎年、春には漁船に乗ってモジャコ(ブリの稚魚)漁に出かけ、20日間程の漁期間を終えれば、一家総出で捕ったモジャコをブリに育てる養殖業に携わる。

「自分たちで捕って育てるからこそ、自分たちが本当に美味しいと言えるブリを世に出せるはず」
この信念の元、ブランド合戦に挑むふたりの姿を通して、美人鰤とは一体どのようなものなのか、その背景とストーリーを深く味わっていきたいと思う。

「何とかせんといけん。風穴を開けに行こう。」

村松教雄さんは高校卒業後、京都の水産試薬メーカーに就職し、生まれて初めて海のない生活を3年間送ったという。
その後、故郷の西野浦に戻るが、父親の経営する村松水産の船には乗らなかった。
同じ西野浦でブリ養殖のいけすを並べる、浪井マルミ水産で働くことになったのだ。
「オヤジさんから、預かってくれと頼まれたけぇの」と、浪井満洋さん。
信頼のおける相手に跡継ぎを託すことは、家族経営の同業が多いこの辺りでは珍しいことではない。
「モジャコ漁師として西野浦で満洋さんを知らない人はいないし、うちのオヤジにモジャコ漁を教わったこともあったらしいです。世代は違っても、西野浦の漁師はみんなどこかで繋がっています」と語る教雄さんの当時の生活は、当然のように京都での会社勤め時代とは一変した。“兄”として漁師の技術を厳しく教え、“弟”として必死になってついていく日々が始まった。
これがふたりの兄弟漁師の出会いである。

その後はウマが合ったというのだろう。
船の上でも陸の上でも、時間があればふたりで話をするようになる。満洋さんの家に上がり込んで、時間を忘れて語り合うことも少なくなかった。
会えば語り合い、飲めば話が尽きない。ふたりの会話はいつしか、漁業と西野浦の未来に思いを馳せていく。
「僕らみたいな零細企業は、買い取り価格が変わればそれだけで経営が傾いてしまいます。このままじゃこの業界は終わってしまう。
生産者が自分たちで値を決められるようにして、生活を安定させるにはどうしたらいいのか、話は尽きなかったですね」

いつしか、ふたりの共通言語は「何とかせんといけん。風穴を開けに行こう」となっていく。

捕って育てる技術と精神性、そして新ブランドの芽生え

満洋さんの元で2年弱、沢山のことを学んだ教雄さん。その後、実家の村松水産に戻ってしばらく経った頃、天然ブリが豊漁で養殖ブリが値下がりした。市場ではブリやハマチの人気が下火になり、カンパチに変わっていく。
ブリ養殖業者としては逆風に次ぐ逆風だ。
打開策を模索する養殖ブリ業界では、地元産の柑橘類を与えて風味を良くするなど、地域特性を生かしたブリのブランド化の動きが出ていた。大分県でも、大分県漁業協同組合(県漁連)が音頭を取って、特産のかぼすを餌に混ぜて育てた「かぼすぶり」がブランドとして立ち上がり、参加する業者も増え始めていた。参加すれば、育てたブリはすべて県漁連が買い取るので生活は安定する。

しかし、海の兄と弟は、どちらもこの動きには参加しなかった。
こういう所、この兄弟は本当の兄弟のように、もしくはそれ以上に、阿吽の呼吸がある。
「仕入れたモジャコを養殖する大手とは違って、俺らには漁に出てモジャコから捕って、魚を育て作るという技術がある。それを守らんといけん。大きな傘の下に入るのは性に合わんし、俺らにしかできない魚作りがあるはず」 兄がそう言えば、
「魚を作り育てる職人として、どうせならばどこにも負けない、自分たちが食べて美味しいブリにしたい。自分の子どもたちにも食べさせたいと思うブリをどうしたら作り育てられるか、それしか考えていませんでした」 と弟も語る。

二人が今日までに築き上げてきた技術、そしてそこから生まれる自信と、強い精神性。
新ブランド「美人鰤」の芽生えが、まさにこの時にあった。

試行錯誤の日々、そして「東洋美人」との出会い

自分たちの餌や育て方へのこだわりを消費者に伝えたいと考えた教雄さんは、まず、出荷するブリに「村松家の愛情ぶり」と名前を付けて売ってみることにした。漁と養殖の忙しい合間を縫って、スーパーの店頭で販促にも立った。

しかし、スーパーのバイヤーからの評価は辛辣だった。
「パンチがない」とストレートな評価。
一体、なにがあればパンチになるというのか。
その言葉は一日中頭を離れず、満洋さんとも会えばその話ばかり。

一方その頃、隣町の宮崎県延岡で、カンパチをブドウの絞りかすを餌に混ぜて育てた話を聞いた。酒粕か。

食とは楽しむものである。生きるために食す、その本質の側面にある「楽しむ」という精神を、人はいつの時代も忘れない。
人それぞれに好みがあり、人は自分の好きな味を求めて、たくさんの料理と、お酒と、食材との出会いを繰り返す。
ワインに焼酎、日本酒と、自分自身が愛してやまない銘柄を探す味の旅路を、人は楽しみながら繰り返す。

さっそく視察に行き手応えを感じた教雄さんの中で、酒粕で育ててみたいという気持ちが決意に変わり始めていた。
そうして出会ったのが、「東洋美人」という山口県萩市の日本酒だった。

養殖漁師が作って売るブランド「美人鰤」誕生

山口県萩市の日本酒「東洋美人」の酒粕を餌に混ぜての養殖が始まった。100g単位で配合率を変えたり、与えるタイミングをずらしてみたりと、試行錯誤をしながら育てていく。
「東洋美人」のように、自分たちも、この浜から世界に通じるようなブランド鰤を育てたい。
教雄さんたちの熱い思いは、周囲の人々を次々と動かしていく。

ちなみに「東洋美人」の酒粕を手に入れる際にも、人との出会いと物語があるのだが、ここでは割愛しておこう。
「東洋美人」との出会いというタイトルで別にしたためているので、そちらでぜひ深く読み込んで欲しい。

新しいブランド鰤の名前は、銘酒「東洋美人」にあやかって「美人鰤」とした。
販促活動に使うロゴマークには、「東洋美人」を作る澄川酒造場の杜氏兼蔵元の澄川宜史さんから“美人”の文字を頂いた。
“鰤”の文字は、大分県漁協下入津支店支店長の山本幹太さんに書いてもらった。

そして12月。稚魚から育てた「美人鰤」はようやく出荷できるサイズになった。ある日、一日の仕事を終えて帰宅した教雄さんは「美人鰤」を食べてみた。期待と不安で気が急いて、いつもなら帰ってすぐに入る風呂も忘れていた。
「腰を抜かしそうなぐらい美味かったです。さすがにここまで味が変わるとは思ってなかった。すぐ満洋さんにLINEしました。このブリ美味いっす!って」
満洋さんにLINEでメッセージを送ると、ものの1分で即返信が来た。
「用事放り投げてすっ飛んでいった(笑)」
この日村松家には誰もいなかった。子どもの行事があり、家族全員で佐伯市内に出かけていたのだ。
「美人鰤」をふたりで一緒に食べた。満洋さんは「涙が出た」という。
ついに、自分たちの新ブランドが歩き始めた。

お披露目された美人鰤、あちこちで上がる驚きの声

とある3月上旬の夜、大分県佐伯市内の老舗ホテルの大宴会場では、500人以上が集まる盛大な宴会が開かれていた。「第五十八一栄丸進水祝賀会」、漁師町で“船祝い”と呼ぶ新造船の祝宴である。主役はもちろん、船主であり村松水産代表の村松教雄さん。当時36歳の若き船主の門出という久しぶりの明るい話題に、集まった人々は沸き返っていた。

そして、この日はもうひとつ祝い事があった。
教雄さんたちが育て上げて来た養殖ブリの新ブランド「美人鰤」のお披露目が行われたのだ。
4.5キロ以上という「美人鰤」の規格の中でも、この日のために選ばれた立派な「美人鰤」が振る舞われると、
「脂がのっているのにあっさりとしていて、食べやすい」
「いくら食べても飽きない味」
と、これまで食べた養殖ブリの味を覆す「美人鰤」に、会場のあちこちで驚きの声が上がっていた。
舌鼓を打つ、とは、まさにこのような光景を言うのだろう。

美人鰤の味を一言で表すのは難しいが、そこに敢えて挑むならば「美しい」という表現が相応しいと思う。
まず、脂のノリが美しい。豊潤でありながら繊細できめが細かく、不思議なまでにスッキリとしているのだ。
魚独特の臭みはどうか、なんていう評し方はもはや不要だ。身の隅々まで「美しい」の味がする。

この味が「東洋美人」との出会いによってもたらされたものだとすれば、その出会いは奇跡なのかもしれない。
「美人鰤」そのものが既に料理されているようだった。

美人鰤兄弟が試行錯誤の末に育て上げた「美人鰤」はいま、会場の人たちの味覚を大いに喜ばせている。
新ブランド「美人鰤」はここに美しく舞い、より一層の輝きを放ち始めた。

魚を作り育てる技術が、漁業の未来を支えていく

新造船の祝宴の壇上では、県内外の水産業界の錚々たるメンバーの挨拶が続く中、ひと際迫力のある、けれど眼差しに温かい笑みを湛えたひとりの男が語り始める。
「我々の水産業界は、厳しいと言われ、四半世紀が失われました。そんな逆境の中で若き三代目が新船を作り、また新しい海に挑戦することを仲間として頼もしく、そして誇らしく思います。新船と共に、彼らが入津の海に新しい風を吹き込み、この業界に大きな風穴を空けてくれることを信じて疑いません」
訥々と語る美人鰤兄弟の“兄”満洋さんの言葉は、会場全体の熱を1℃か2℃、上げたようだった。
その姿を見つめる教雄さんの目にも熱いものがこみ上げる。「俺らには、モジャコから捕って魚を創るという技術があるから、それを守らんといけん」
「職人として、どうせ育てるらどこにも負けない、自分たちが食べて美味しいブリを育てたい」

今日までの試行錯誤の中にあった、二人の思いが改めて思い起こされる。
海の“兄”浪井満洋と、“弟”村松教雄。「美人鰤」の物語は、ふたりの兄弟漁師の物語でもある。
Key person's profile

この物語のキーパーソン

俺らはここで、捕って育てる技術を守らんといけん。

浪井マルミ水産 浪井 満洋さん

海の兄こと浪井 満洋(みちひろ)さん、村松 教雄さんとは約15歳ほど離れている“人生の兄”。教雄さん曰く「修行時代は怒鳴られている記憶しかない」らしいが、それは満洋さん自身が様々な死線を超えてきたからこその厳しさ、愛情の証だった。陸に上がれば眼差しに温かい笑みを湛えた人で、“人生の兄”らしい懐の奥深さを感じさせてくれる。今日も業界の未来を真剣に考え、若き仲間を信じて現場に立つ。満洋さんの的確な指示で漁場に緊張感が走る。
有限会社 浪井マルミ水産 大分県佐伯市蒲江大字西野浦1654 - 1

自分の子どもたちにも食べさせたい鰤を、どうやって作り育てるか。

村松水産 村松 教雄さん

海の弟こと村松 教雄(のりお)さん、36歳で新船を作り船主となった、村松水産の若き三代目。高校時代はプロップとしてラグビーに明け暮れていた。「子どもに絶対に美味しいと言わせるブリを育てる」という思いは相当に強いものだったらしく、今はその情熱が結実し「今はもう、ブリは美人鰤しか食べてくれない」のだとか。「結婚するならプロップ」とも言われるほどに、気は優しくて力持ち、そして忍耐強い男。海の兄から学んだ技術は弟に継がれ、今日も情熱をかけて美人鰤を作り育てている。
有限会社 村松水産 大分県佐伯市蒲江町大字西野浦210‐1